雪の降る音 (お侍 拍手お礼の三十五)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


この里に来て何日か、いやに曇天が続くことに気がついた。
淡灰色の空の下、きんと冴えた空気が張り詰め始めており、
ああこれは雪が近いなと、
壮年の連れ合いが何げに呟いたのが今朝のこと。
同じ衾の中にあって、鼻の頭がいやに冷たく擦り寄れば、
その腕の中へと取り込んでくれつつも、
頑是ない童子
(わらし)のようだのと苦笑を見せていた彼は、
所用があってと朝から何処かぞへ出掛けたままだ。

 “…。”

頬や耳や手など、外へと晒した部位のみならず、
衣紋の表面からもじわじわと。
まるで霧雨がゆっくりと染むように、
冷気が内へまで凍みてくる感触には 覚えがあって。

 ―― そう、あれはずんと遠くなった昔の話。
     この身に見えない翅があり、
     高い高い天穹が棲処だった頃の話。

どんどんと高度を上げての末に、雲海の上にまで出ると。
晴れ渡った中、何もないまま青ばかりが広がっていた、
そこは正に別天地であり。
そんな見た目の麗しき清涼と裏腹、
斬艦刀の上では、刃を束ねたような風に叩かれ続け。
真夏でも冷たい加速風の中、
無造作に呼吸をすれば、肺腑まで凍った極寒の地。
其処に身を置き、心身ともに凍りつかせていたあの頃の、
血肉以上に馴染みのあったあの空気と、同じ感触だと思い出す。
鋭く尖った刃の切っ先に、揺らぐことなくのすっくと立つような。
ものの例えではなくの本当に、
一瞬でも気を緩めれば、
寄ってたかって啄
(ついば)まれ、墜ちるしかない死の淵にいた。

 ―― 止めどなく襲い来る破綻を掻いくぐり、
     それで得た“刹那”を繋ぎ合わせて“生”を紡ぐ場所。

そんな切迫感が、常に神経をぎりぎりと締め上げて。
痛いほどの緊張が、総身を巡る血を常に滾
(たぎ)らせて。
いつ失速して墜ちるやも知れぬ、
そんな危機感さえ、刀の一閃で叩き伏せ。
それを反動にして、先へ先へと進む日々。
双刀を翼の代わりとし、自在に宙を舞いながら、
触れるもの皆、切り裂き破壊し、
凌駕することだけが 言わば唯一のアイデンティティーで。
それが終わる日が来ようだなんて、考えてもみなかった。

 “………。”

手や指先が冷たいのは、そんな穹が棲処だった名残り。
身が軽くて素早いというだけじゃあない、
順手や逆手に刀を目まぐるしくも持ち替えて、
縦横無尽の千変万化、どこからでも切っ先を繰り出せる、
あれほどの太刀筋と動作をすぐさま起こせる身なのに不思議だと。
よくも体への反射や連動へ支障が出ないことよと、
人から驚かれたり呆れられたりもしたし。

 ―― だったら冬は苦手なのではありませぬか?

そうと案じてくれたおっ母様は そういえば、
それは温かな手をしてらして。
いつもいつも暇を見つけては、
こちらの手を暖めるかのように握っていてくださった。
されど、

 “…寒い、か。”

それが常態だったから、あんまり意識したことはなかった久蔵で。
神無村での冬も、雪に覆われて過ごしたが寒いとは思わなんだ。
だけれど、あれは。あの冬は…。

 「久蔵。」
 「…。」

深みのある響きが心地いい、よく通る声が届いたことで、
思考が中途で遮られた。
つい先程、戻って来ていた気配は感じていたが、知らん顔をし続けた。
どうせ向こうだって、気づいていることに気づいてる。
だから半ば意地を張るように、そっぽを向き続けていたのだけれど、

 「久蔵、戻って来ぬか。」

再度呼ばれては仕方がない。
肩越しに見やれば、雪見障子の向こう。
冷気を吸って重い外套を、
とさり、無造作に足元へと脱ぎ落とす勘兵衛の姿が見えた。
多少ずぼらではあるが、
見苦しいというほどでもなくの なめらかな所作、
上着を重ねるこの頃には見慣れた姿であるはずが、
いつになく緩慢な動作に見えたのへ、

 “…そういえば、シチが。”

どんなに暑くとも平気なくせに、
寒いのはどうやら苦手な勘兵衛であるらしいと、
確か七郎次が言っていたのを思い出す。
髪を切らぬのもそのせいかも知れぬと苦笑っていたっけ。
だとすれば、

 「…しょうがない、か。」

小じんまりとした寮は、逗留先にと里の長老が貸してくれたもの。
矢来垣に囲われた庭先から、
沓脱ぎ石を上がって縁側廊下まで立ち戻り。
居室へ入れば、困った性の猫でも見やるよに、
家着の羽織を重ね着た壮年殿がこちらを見上げ、

 「いつからああしておった。」
 「さてな。」

こうまで戻って、なのに今更、
気を持たせての尚も抗うこともあるまいと。
後ろ手に障子を閉めると、
床の間に立て掛けられた、連れ合いの太刀と並べて、
自分の双刀を背から外し置き。
火鉢の傍ら、ゆったり座した勘兵衛の間近まで。
お膝同士が触れるほど、寄ったそのまま腰を下ろす。
そこからは…もはやいつもの習いの流れ。
紅の衣紋の裾の切れ込みから、
小さめの膝がしらを見せつつの、相手のお膝へ乗り上がり。
長い裳裾を、無造作に蹴り散らかしながら、
堅い胸板も逞しき、その懐ろへともぐり込めば、

 「…っ。」

途端に勘兵衛が うっと言葉に詰まって眉をしかめたは、
じかに肌へと触れたこちらの頬や髪のおもてが、
人のものとは思えぬほど、あまりに冷たかったからだろう。

 「こうまで冷やして。」

風邪でも拾うたらと叱言を並べつつ、
それでも突き放したりはしないまま。
自分の衣紋の懐ろをなおも開いての其処へと、
なじったばかりな冷たい手や頬を、
衒うことなく取り込むようにしてくれて。
こっちには熱いほどの温度差があるからには、
向こうにすればさぞかし冷たい苦行だろうに。
冷えきっていた肩や背も、
雄々しい双腕でくるみ込むよに抱き込めてくれる彼であり。
居心地のいい温みが少しずつ、
頼もしい筋骨の張った肢体からこちらへと、
直に伝播し、温もって来るにつけ、

 “…不思議、だ。”

天穹にいた頃は、
どんなに凍えてもそれを振り払って動けたものが、
それはそれは暖かい、
この懐ろにこうして捕
(とら)まえられるとその途端、
全くの全然、動きたくはなくなってしまうから何とも不思議。
こうして暖を取るということを、この身に覚えさせたのも、
思えば…この男の仕業ではなかったか。

 「じきに此処いらにも雪が降るらしい。」
 「〜。」

出先で訊いた話を紡ぐ彼へ、
うんともすんとも聞こえる曖昧な声を返しつつ、
地上の何物をも埋めて塗り潰す白をふと、
思い起こすが…やはり印象は薄い。
此処よりもずっと北の地に、生まれ育った身だのにね。
青で埋まっていた穹上の方が、
久蔵にはよほどに冷たかったからだろか、それとも。

 “島田と同じ色だからかな。”

髪や眸の深色よりも、肌の色やら髭の印象よりも、
修羅場の中にてひるがえる、衣紋の白の印象が強い。
心根は熱いくせに、妙につれないところも、
頑迷なくらいに誠実であるが故の、
融通の利かなさの現れだとすれば。
勘兵衛の色も白。雪景色も白。
だから自分には、穹の青ほど冷たい印象ではないのだ、きっと。

  ―― お主のせいだ。
      ? 何がだ?
      全てが、だ。
      ?? はて?

その深い深い尋の奥底のどこかしら、
馴染み深い血の香が確かに染みている懐ろは。
されどあまりに甘露な温みに満ちていて。
とくとくと力強く紡がれる鼓動の響きが、
伏せた頬へと伝わって来るのが心地よく。
そのまま身を寄せ、うっとりと眸を細めれば、
愛おしむように髪を梳いてくれる、
男の手の重みを頭に感じる。
自分には手のひらの側しか見えないが、
其処に刻まれた六花も今は、紛うことなく自分のもの。

 ―― 胡蝶が花に囚われるのは世の道理。

どうで最初から、清廉潔白な無垢でもなし。
数え切れない命を屠
(ほふ)った身なのは同じこと。
これが実は魔性の導きであれ、
こんなに心地のいいそれであるのなら、
悪くはないかと 抗うこともなく。
総身をとろかす安寧へ、
その身をすっかり委ねての、
紅の双眸、ゆるりと伏せてしまう久蔵で。

 「何だ、眠いのか?」
 「ああ。」
 「まだ昼だのにか?」
 「昨夜 誰ぞかに、寒さ払いにと無茶をされた。」
 「…今宵、寝つけなくなるぞ?」
 「構わぬ。」


  だって。
  夜陰の穹から舞い落ちる雪の音はきっと、
  彼らの睦みの邪魔はしなかろうから………。






  〜Fine〜  07.12.04.


  *何だか取り留めがなさすぎですかね。
   急に冬催いな天候になったので、
   寒さ払いに、ちょこっと甘いいちゃこらをと思ったのですが、
   もっと寒かったろう、天穹の話なんぞを
   思い出させてどーしますか、もーりんさん。
(う〜ん)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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